奥の院を後にし少し進むと「下乗」と彫られた褾石が見えてきました
「下乗」とは・・・・
ここから先は聖地であるから、どんな高貴な者でも乗り物から降りて
自分で歩いて参拝しなさい・・・という事です。
それほど白峰寺は位の高いお寺
「下乗」の横にある建物で覆われた石碑は「摩尼輪塔(まにりんとう)」は
1321年(鎌倉時代末)に密教の僧、金剛仏子宗明によって建てられた全国でも珍しい塔です。
一方左手にある下乗石の裏には、1836年(天保七年丙申春三月、江戸時代末)高松藩が
古い摩尼輪塔を小屋でおおって保存し新しくこの碑を建てたことが刻まれています。
やっと八十一番札所「白峰寺」に到着です
弘仁6年(815年)弘法大師(空海)が、白峯山中に如意宝珠を埋め、
閼伽井(あかい)を掘り、堂を建立したと伝えられています。
また崇徳上皇のお墓がある事でも有名
ひと際目立つ高い木は香川県の保存木に指定されている「モミの木」です
インスタ映えする、ミニチュアの招き猫が出迎えてくれました
こちらが本堂
本堂の瓦には「菊の御紋」が使用されており天皇家との結びつきの深さを物語っています
頓証寺は、頓証寺殿とも呼ばれ、建久2年(1191)、崇徳上皇に近侍していた
阿闍利章実が鼓岡の木の丸殿を移建して上皇の霊を祀ったのが始まりとされています
頓証寺の前に立つ「相模坊」は、日本五天狗のひとつで
讃岐では金比羅山の「金剛」八栗山の「中条坊」とともに讃岐三天狗といわれています。
白峰寺を後にし白峰山三角点(東山三角点)を探しに行きます
途中の展望台から見た、雄山・雌山、奥に瀬戸大橋が見えます
雌山(右側)の山頂には古墳があり、面白い山ですのでオススメです
白峰温泉ニューサンピア坂出を過ぎ、この石柱から斜面に取り付きます
踏み跡に沿って歩く事数分で、ここにも「下乗」の石碑
ここも白峰寺の霊域のようです
前回、歩いた時はここを山頂としたような気がします^^;
更に薄い踏み跡をたどって行くと・・・・・
東山・四等三角点
横には勿論、○米さんのマーク
ここが山頂かな?と思いましたが確認すると、山頂はここから東へ進んだ381m地点のようです
地図で確認すると車道のすぐ横が山頂のようですが車道歩きもつまらないので
尾根筋を歩く事にしました
ところが、ほとんど歩かれる人もいな藪化した尾根は
か弱い女性三人では、なかなか進む事が出来ず敢え無く撤退
車道を歩きフェンスが破れた間から再び尾根へ入りました
ここら山頂はすぐだと思うのですが、藪・藪・藪・・・・
朽ちた赤テープを発見し、どうにか白峰山山頂に着きました
どなたかが付けて下さった山頂案内板も劣化し、薄らと文字が見える程度でした
ここまで来るモノ好ききほとんど居ない!という事でしょうね^^;
この後、時間があれば古田・四等三角点へも立ち寄りたかったのですが
時間が無く次回のお楽しみとなりました
後は遍路ころがし入口まで、延々と車道歩きです
途中、Keitannさんがオドリコソウの花を見つけて下さり少し撮影タイム
花の無い時期の開花はうれしいものですね
やっと遍路ころがし入口に着きました
後は、ここを下りるだけです
明るいうちに下山出来るかな?と思いましたが、なんとか下山出来そうです
最後に東屋で小休止後、無事に明るいうちに下山出来ました
今日は、一度歩いた道だからと地図も確認せず、記憶だけで歩き痛恨のミス
どんな道も地図を確認しながら歩く事の重要さを知る一日となってしまいました
でも、念願のカッパドキア、そして白峰山山頂、おまけに韓国の女の子との交流も出来
盛りだくさんの一日となりました
行程が長い分、おやつタイムも多かったので今年もダイエットは無理かな?
カッパドキアを整備して下さった、地元の方、エントツ山さん、ありがとうございました
天皇即位の年に天皇家由来の場所を歩く事が出来、いいスタートが切れました
今年も宜しくお願い致します