※この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平17総使、第596号)
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先週の寒さから一転し、今日はポカポカ陽気の予報・・・・ならば行き先は、ここしかない!と、いう事で久保谷のユキワリイチゲを見に行く事にしました。ユキワリイチゲを見に行くのは良いけど、どのルートで行こうか・・・迷った挙句、アカリプタさんが歩かれたルートを歩く事にしました。Keitannさんと久保谷の駐車場で折り合う事にし駐車場に着くと・・・・阿南のHさんと、お会いしました。お互いに今日は違う車なので、あれっ!といった感じでした。程なくKeitannさんも到着・・・・この駐車場は混みそうなので私達は道の駅・第二駐車場へ移動・・・・ここから出発する事にしました・・・・影三角登山口は↓のログハウスの手前から入ります・・・・
三角のカツラと彫られた石碑・・・・カツラの木を写すのを忘れました(^^;
明神川の支流に掛かる橋を渡ると影三角の登山口に着きました・・・・ここは「四国のみち」なので案内板があります・・・・・
影三角登山口と書かれています・・・・実はこの道、苦い思い出がありまして・・・山歩きを初めて間が無い頃、ここへ下山しコンクリート道へ出た瞬間、木が緩み滑って、思いっきりお尻を強打した場所です。当初はコンクリート道がこんなに滑るとは夢にも思って無くて何気無く踏み出したのだと思います・・・多分、コンクリートの上に苔があったのかな?あれ以来、濡れているコンクリート道は慎重に歩くようになりました(^^;
登山道へ入るとゴロゴロの岩や倒木で荒れていました・・・・一瞬、この道大丈夫?と思いましたが荒れていたのは沢筋だけで登山道は大丈夫でした・・・・・
歩き安くて良い道です・・・・・
テングチョウがひらひらと舞っています・・・・落ち葉と同じ色をしているので、どこにいるかわかりますか?
途中、ベンチが設置されていたので小休止・・・・この日は気温が高く汗が流れました
県境縦走路でお世話になった道標・・・・この道標、見やすくて良いですね
稜線の手前まで来ると・・・・ナント、林道が出来ていました・・・そういえば県境縦走した時に下に見えていましたね・・・・
懐かしの県境縦走路に出ました・・・・・
ここからは勝手知ったる道・・・・・・
柾木・四等三角点
三頭越まで2000mと書かれていますが、ほとんど平坦な道なので、そんなに時間は掛かりません
この縦走路、普段はほとんど人にお会いする事はありませんが、この日は沢山の方にお会いしました・・・皆さん、谷の花が目当てなのでしょうね・・・・途中、佐々連さんにお会いし、しばらく雑談・・・また、いつかご一緒させて下さいね・・・・三頭越手前のピークから別の尾根に乗り「青龍の祠」へ・・・・美馬町史によると、「雨乞いの祠」との事・・・中を覗いてみましたが、ご神体はどこかに移されたようでした。
青龍の祠を後に、倉尾・三等三角点を目指します・・・・しばらく歩き安い道・・・・
開けた場所に出ると・・・・廃車がありました・・・と、いう事はここまで車で来る事が出来ていた!という事?
以前は畑だったのかな?
どうも三角点はこの藪の奥にあるようです(^^;どこから入ろうか・・・・・
藪が少し薄くなっている場所から突入し、やっとGetです!
初めての三角点なので、いつものセレモニー
また藪を通るのは嫌だなぁ~と思い、植林の中を歩く事にしました・・・・さてどこから林道へ下りようかな?と思いGPSで確認すると三頭越手前で林道に下りる事が出来そうです・・・それより先はどうも崖?のようで下りるのが難しそうです・・・・
ここへ下りてきました・・・・・
目の前には三頭越への入口が見えています・・・・
三頭峠入口には「青龍の祠入口」という案内板があります・・・ジオグラフィカの地図で見ると三頭越から青龍の祠への道が破線で載っているので以前は参拝者が居たのでしょうね
■三頭越とは・・・・・
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讃岐へ通ずる本町の峠越えの中で最も多くの人々の足跡を残したのが、この三頭越えである。古来、阿波から讃岐の金比羅さんへの道としてこの峠は有名であり、また、讃岐から多くの米が借耕牛によって阿波に運ばれた道もこの三頭越えであった。伊予街道や撫養街道から中山路、駅、土ヶ久保を通り、滝ノ宮の東端の坂を登って、滝ノ宮池の南側の茶屋で一休みして三頭越えを目指し、池のすぐ西側から鍋倉谷川を横断する。そして、井ノ神から井出谷川磧の右岸を登って横尾に出て猿坂へ、猿坂から観音、野田ノ井を経て三頭峠に至るのである。途中、横尾、猿坂に宿屋や茶店があった。現在、横尾の泉屋の入り口には常夜灯が、また猿坂には三頭への里程石が残されている。峠には鳥居が一基あり、「安政四巳歳仲秋日、四海泰平、君民豊楽、金比羅大権現」と刻まれている。その左右に祖神である猿田彦大神、天細女命の陰陽一対の石蔵が旅の安全を祈るように立てられている。また、立見山には安政年に建立された金比羅大権現の揚額をもった立派な大鳥居が、当時の隆盛を物語るようそびえている。峠から南へ約1000メートルの所に三頭山大権現があり、その奥に雨乞いの祠として尊信されている青龍さんがある。とくに藩政時代、三頭山大権現は金比羅の奥の院的存在として参詣が多く、阿波からの金比羅参りには必ずと言っていいほど、三頭山大権現を参拝した。幕末末期から明治にかけては三頭山に門前町が営まれ、旅館(吉野家、玉屋、錦屋等)立ち並び、にぎわっていた。峠にも茶屋(梶浦家等)があり休憩所となっていた。また、三頭山への道は、峠への道とは別に、東からは平尾から登る急坂の道があり、岩倉村民が寄進した里程石が今も残っている。西からは、後谷から大倉へ出、急坂を登る三頭山への道があり、ここにも半田村民寄進の里程石が残っている。この三頭越を明治から大正にかけて盛んにしたのは、金比羅参り、借耕牛の外に香川県善通寺に置かれた旧陸軍第十一師団に入隊する阿波の青年達や、入隊した兵隊達との面会のため峠を越えていった多くの人達であった。「美馬町史 第七章 文化 (3) 三頭峠」 より
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ここから三頭山・・・・と思いましたが、ここからは車道歩き・・・・おまけに三頭山へは何度か訪れているのでパスしました(車でですが・・・・・)(^^;ここで昼食、休憩していると今まで見た事も無い位、大勢の登山者とお会いしました・・・↓の女性四人は、ナント、石鎚頂上宿舎のスタッフの方でした・・・・
是非、泊まりに来て下さいとパンフレットを渡されました・・・・泊まらないと日の出や日の入りは見る事が出来ないので一度泊まってみたいものです・・・・
昼食後、三頭越まで戻ります・・・・
峠の鳥居が見えて来ました・・・・・
■「サルタヒコノカミ」 (猿田彦神)国津神。天孫降臨神話に登場し、猿とも天狗ともいわれる怪奇な風貌をしています。天孫を道案内した故事から導きの神、道の神とされます。アメノウズメ命と結婚したことから縁結びの神としても有名
■「アメノウズメノミコト」(天宇受売命、天鈿女命)踊りで世界を救った神様
懐かしの「三頭越」の案内板
三頭越のすぐ下まで林道が延びていてビックリ!香川の山はどこへ行っても林道だらけのような気がします(^^;
いよいよお楽しみの花散策・・・・・アワコバイモ
ユキワリイチゲ
天気が良いので満開状態・・・・
三姉妹♪
乱舞状態・・・・・
立石峠へ向かう新しい道・・・・・
これ以上、開けません・・・・・
アワコバイモ・・・・中を覗くと・・・・・
ダンコウバイが咲くと春だなぁ~
久保谷の入口でアンジーとアンジーパパさん、がぁべらさんにお会いしました。アンジーは15歳だとか・・・・もうしばらく長生きしてもらいたいものですね
この日は天気も良く谷間には女性の歓声が響き渡っていました・・・・・これから咲くイチリンソウ・ニリンソウも楽しみです・・・・・この場所しばらくは目が離せません・・・・以前から気になっていた「青龍の祠」も見る事が出来て良かったです・・山頂を踏まない山歩き、たまにはいいかな?出会いも沢山あり、楽しい一日でした