■冬場は島の山へ
夏は暑くて近寄れない島の山へ行く事にした
今回は「さぬき広島」の王頭山
標高312mの山だからと朝のんびりしていたら
am9:25発の船の時間に厳しくなってきた
これを逃すと次はam11:10^^;
我が家から丸亀港までは一時間近くかかるハズ
慌てて高速に飛び乗って善通寺ICで下りる
ナビは坂出ICを案内したが混みあう街中を走るより
善通寺ICで下りた方がスムーズに走れそう・・・・・
予想は的中?し出港の15分前に丸亀港到着
港のすぐ前の駐車場に車を入れam9:25発江の浦港行きに乗船
予報では曇り予報だったがキレイな青空が広がっている
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▲am9:25発の「しわく丸」で江の浦港へ
▲丸亀港の風景
■さぬき広島に到着
約40分で「さぬき広島」へ到着
「さぬき広島」へは20年近く前に「トライアスロン」の応援に何度か訪れた事がある
現在は「トライアスロン」大会も無くなり訪れる事もなくなった
その頃に比べると心なしか、寂しくなった雰囲気
でも返ってありのままの姿を見る事が出来るので、いいのかも・・・・ |
▲40分で江の浦港着
▲今から登る王頭山
手前は帰りに乗った旅客船
■いよいよスタート
王頭山登山口へ向かって出発
今は廃校となった広島小・中学校の角を曲がり茂浦方面へ進む
すぐに「一隅を照らすこれ則ち国宝なり」という石碑
さぬき広島には石の島にちなみ「いろは石めぐり」という
約500m毎に石碑が建てられている
王頭山・レキの墓の道標に導かれ進む
ここでちょっとした失敗
「レキの墓」に気付かず通り過ぎてしまい下山後再び訪れる事になった
もっと大きな墓を想像していたが、意外と控えめな墓だったので
通り過ぎてしまったようだ^^; |
▲広島小・中学校跡の角を曲がる → ▲一隅を照らすこれ則ち国宝なり ↓
▲レキの墓の案内板 → ▲広島神社 ↓
▲レキの墓
慶応2年(1866年)、瀬戸内海を調査中の
英国測量船セルビア号の船上で病死した英国士官レキの墓
島の人たちの手のよって守られてきた為
明治29年(1896)にセルビア号が再び広島に寄港、
船長から島の人たちに感謝状が送られたそうだ
▲いたるところに案内板が有り
スムーズに登山口へ行く事が出来ました
▲香川本鷹?
■登山道へ入る
親切な道標のおかげで迷う事無く登山口に着いた
しばらくはうっそうとした道だったが次第に花崗岩で出来た
しっかりとした道になった
迷いそうな場所や急登にはロープが設置され
安心して歩く事が出来る
さすが石の島!所々で巨石を見る事が出来、飽きる事が無い |
▲王頭山登山口
▲花崗岩の道が続きます
▲さすが石の島!道標も石で出来ています
▲いたるところに巨石
■一番の見所!王頭砂漠
登り始めて一時間弱
王頭砂漠と呼ばれる風化浸食作用によって出来た石庭に着いた
ここは一瞬、不思議の国に迷い込んだのかと思わせるような場所
プチ燕岳か甲斐駒ケ岳かというような雰囲気
思っていた以上に規模が大きく圧倒された |
▲これがウワサ?の王頭砂漠
想像以上の規模でした
▲不思議な空間が広がっていました
■王頭山山頂へ
王頭砂漠を後にし山頂へ向かう
途中、見晴らしの良い展望所があったので寄り道
ゴツゴツとした山肌は岡山の王子が岳に良く似た風景
奥にはまだ行った事が無い高見島が良く見える
眼下には青木港
寄り道ばかりしやっと王頭山山頂!
山頂は木々が生い茂り展望は無い |
▲登山道はよく整備され迷う事はありませんでした
▲咲き残り「モチツツジ」
▲王頭山が石の山だという事がよくわかります
奥に見える島は高見島
▲次に登る心経山が見えています
奥は小手島・手島
▲眼下に青木港
▲こんな岩も・・・・・・・
▲王頭山山頂 312m
■心経山へ
ここから心経山へはヤブコギかな?
と思っていたところ、ありがたい事に縦走路が整備されていた
勿論、使わせて頂く
こちらも迷いそうな場所にはロープが張られ
至れり尽くせりの道
甲路への分岐まで下り少し登り返すと苔むした石段が見えて来た
石段を登ると大師堂
平安時代に弘法大師・空海が修行した場所と伝えられている
大師堂の裏から心経山山頂を目指す
ここからは岩・岩・岩
幸い足場があるのでなんとか登る事が出来た |
▲心経山への縦走路が整備されていました
▲手作りの道標
▲こちらは立派な道標
▲大師堂への石段
▲大師堂
▲弘法大師千百年忌供養塔
▲大師堂の裏から山頂を目指します
▲岩・岩・岩です
▲ここが山頂?祠があります
■断崖絶壁!心経山山頂
数分で祠が見えてきた
ここが山頂かな?
祠の先には見晴らしが良すぎる^^;岩のテラス
標高こそ、たかが213mだが迫力満点だ
ふと思うが3000mの岩場から落ちても213mの岩場から落ちても
結果は同じ事だと思うので大差は無いのかも知れない
ここで昼食、夫は足がすくむ断崖絶壁のテラスで昼食を広げている
私は、そんな場所では食べ物が喉に通りそうにないので
足場がしっかりした場所で食べる事にした
勿論ここからは360度の大展望 |
▲こんな場所!お尻がムズムズします
▲心経山から見下ろす
▲左側に砕石場
▲小手島・手島
■甲路へ下山
昼食後、甲路へ下山する事にした
少しだけヤブ化している道を抜けると砕石場への道へ出た
山之神神社の横を通り海岸沿いの道に出た
ここからは車道歩きだ
海辺の風景を眺めながら歩いていると
あんなに良い天気だったのに雨が降り始めた
仕方なくレインを着こみ江の浦港を目指す
(日和見主義の私なのに、なぜか今年はレインを着る機会が多い) |
▲ここに出てきました
▲山之神神社
▲巨大な砕石の跡
▲砕石に使用する重機でしょうか?
■立石地区へ向かう
約1時間ほど歩き江の浦港着
次の船まで時間があるので休憩後、立石地区へ向かう
約20分ほどで立派な作りの尾上邸が見えてきた
尾上邸は江戸末期に廻船問屋として栄え
島で採掘される青木石を高く積み上げた石垣と
およそ200年前に建てられた総ケヤキ造りの家屋が見事
現在は神戸在住の持ち主の方が年に数回帰ってくるのみだそうだ
近くには自然に溶け込んだ雰囲気の神光寺がいい雰囲気
ここの梵鐘は江戸初期に作られ丸亀市文化財に指定されている |
▲尾上邸へ向かいます
▲尾上邸
江戸末期に廻船問屋として栄えた尾上家の邸宅
島で採掘される青木石を高く積み上げた石垣と
およそ200年前に建てられた総ケヤキ造りの家屋が当時をしのばせます
▲干し柿を干している風景
こんな風景もあまり見なくなりました
▲神光寺
他にも江戸時代に咸臨丸に乗ってアメリカに航海した水夫の墓も祀られています
▲平成16年9月24日に丸亀市文化財に指定されている
江戸初期の梵鐘
■島を後にする
途中で雨に降られたものの歴史ありスリルありの充実の一日になった
よく整備された登山道に道中でのお接待、
島民の暖かな心遣いが心が沁みた
帰宅後、地図を見ると今回私が歩いたのは島の三分の一
残りの三分の二を歩いてみたいと思った
pm4:40発の旅客船で島を後にした |
・ハナタデ ・シマカンギク ・ヤクシソウ ・ヤマジノギク
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