■白方から天霧山・弥谷山へ
今日は天霧山・弥谷山へ行く事にした
私は二度目、夫は初めて歩く
5年前に歩いた時は黒戸山から歩いたので
今日は白方から遍路道を歩く事にした
まずは登山口がある虚空蔵寺へ向かう
途中、田んぼの中にある立派な古墳を見つけたので立ち寄る
案内板には「盛土山古墳」と書かれていた
■「盛土山古墳」
「二段築城で二重の周濠(しゅうごう)(溝)を持つ大型の円墳
5世紀末の古墳と考えられている
1915年開墾中に墳頂部で長さ約2.0m幅約0.8mの箱式石棺が見つかっている
日本一大きな勾玉やトンボ玉、銅製鈴などが出土し
「東京国立博物館」が所蔵されているそうだ
東京へ行く機会があれば見てみたいものだ
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▲盛土山古墳・後ろに見えるのは天霧山
■虚空蔵寺
登山口である虚空蔵寺に着いた
こじんまりとしたお寺だが、なんとなく趣がある
ここは弘法大師が虚空蔵求聞持の法を修行したところ、
その霊跡をあがめ虚空蔵寺が建立されたそうだ
一時は七堂伽藍の栄えた寺であったが、
天霧山上に城塞が築かれた時を契機に衰退したそうだ |
▲虚空蔵寺
▲弥谷寺へ十八丁・善通寺へ七十五丁・金毘羅へ・・・・
■ダムの横から遍路道へ入る
虚空蔵寺参拝後、砂防ダムの横からスタート
最初は長い長い階段を登りダムの上へ出る
ダムからは多度津の町並みや瀬戸内海の大展望が広がる
ダムを過ぎるといよいよ山道へ入って行く
途中、アオモジの木が数本有り、目を楽しませてくれた
「七曲がり」と呼ばれる谷筋の山道を進んで行く
お遍路さんがこの道を歩いて弥谷寺へ参拝したのだと思うと
なんだか遊びで歩くのが申し訳ない気分になる
天霧八王山奥ノ院と書かれたお堂があったが
参拝する方も減ったのか今は荒れ果てていた |
▲砂防ダムの左側から登って行きます
▲長い階段を登り切ると・・・・・・
▲多度津町の町並み奥に「さぬき広島」
▲アオモジの木が沢山ありました
▲遍路道を登って行きます
▲天霧八王山奥ノ院
▲ヤマアイ
■弥谷越
登山口から一時間弱で弥谷越へ着いた
ここは天霧山と弥谷山の分岐でもある
明るく休憩をするには良い場所
小休止後、まずは天霧山へ向かう
「隠し岩」を過ぎると「犬返しの剣」
犬も嫌がる急な登りなので、この名が付いたとか・・・・・・
ここを登り切るといよいよ天霧山山頂だ |
▲弥谷越
▲犬も嫌がる急な登り?犬返しの険
■天霧城址
ここは讃岐西部を支配した香川氏が地形を利用して
作った天霧城があった場所
本丸、ニの丸、三の丸と今も城跡が残っている
城跡をぐるっと回ると、古井戸や空堀があり
栄えた当時を垣間見る事が出来る |
▲天霧城「物見台」
▲天霧山三角点
▲古井戸
■弥谷山へ向かう
天霧山を後にし弥谷越えまで戻り弥谷山へ向かう
途中、「地籍図根三角点」と書かれた「三角点」を見つけた
帰宅後、調べてみると「三角点」は国土地理院が設置したものだが
「図根三角点」は地籍(どこを誰が所有しているか)を測量するために
役所(の委託業者)が設置されたもの
「三角点」に比べるとやや簡易的な要素のものらしい
山を歩いていると何かしら発見があるので楽しい |
▲図根三角点
地籍(どこを誰が所有しているか)を測量するために役所(の委託業者)が設置
▲弥谷山へ向かいます
▲親切な案内板有り
■弥谷山
弥谷越から15分も登れば弥谷山山頂
こちらは展望も無く少し寂しい
ここから黒戸山へ行く事も出来るが今回は引き返す事にした |
▲弥谷山381.5m
■四国霊場71番札所・弥谷寺
登山口である虚空蔵寺まで下り、車で弥谷寺まで移動
参道にある俳句茶屋はいつ行ってもいい雰囲気
おいしそうな、おまんじゅうが並んでいたがグッと我慢
弥谷山の中腹にある弥谷寺は、静かな森と断崖の岩に囲まれ
独特の霊気が感じられる日本三大霊場に挙げられるそうだ
天平の年間に、聖武天皇の勅願で行基菩薩が開いたとされる
その後、弘法大師が訪れ、境内の岩窟で学んだそうだ
本堂下にある磨崖仏は弘法大師作ともいわれ、重要文化財に指定されている |
▲俳句茶屋・弥谷寺
▲優しそうなお顔のお地蔵様
▲階段を登り切ると梅の花が迎えてくれました
▲磨崖仏
本堂下にある大きな岩盤面に刻まれた、
鎌倉時代のものと伝えられている「弥陀三尊」の磨崖仏。
弘法大師作ともいわれ、重要文化財に指定されている
▲ヤブツバキ
▲ヤマガラ・ボケてしまいました^^;
■のんびりと歴史散歩
早春の一日、ほんの少し郷土の歴史に触れる事が出来た
香川に住んでいながら、郷土の歴史背景もまだまだ勉強不足
弥谷寺近くににある海岸寺は一説には「弘法大師生誕の地」と言われている
この界隈、じっくりと歩いてみると面白そうだ |
▲海岸寺・本坊
真言宗醍醐派の寺院
寺院は本坊 と奥の院からなる。
本尊は本坊が正観音、奥の院が弘法大師誕生仏
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